2016年1月7日木曜日

1月5日(火)〜【閲覧注意】我が兄、松本哲也永眠

「てっちゃん、死んじゃったよ…」

1月5日21時32分。

電話がなった、発信元は弟の携帯。

なった電話の画面に「よし携帯」って表示された時点で覚悟はした。

電話の向こうの弟の涙声。

いつも遊びに来てくれるウィリアム王子がそこにいたので、まぁ普通に振舞ったがね、

電話切って「てっちゃん死んじゃったよ」って話した。

彼も一度、店でてっちゃんと会ってバカな話しをして盛り上がったことがあった。

王子、鼻をすすり始めた。

一度しか会ってないのに、一緒に悲しんでくれる友…



てっちゃん、松本哲也は母方の従兄弟にあたる。

母親同士が姉妹という関係で、てっちゃんは松本家の長女の一人息子、こっちは澤田家に嫁いだ松本家次女の息子兄弟。

てっちゃんは爺さん婆さんと暮らしてた関係もあって、ほぼ毎週末になると家族で松本家を訪ねていた。

てっちゃんは俺より2こ上の40年生まれ、2個下に俺がいて、更にひとつ離れて弟がいたので、年も近く3人兄弟のように育った。

頻繁に会っていたので、影響も大きかった。

小学生の頃、歌謡曲全盛の時代の70年代にフォークを聞き出したのもてっちゃんで「アリスいいぜ〜」とかで「アルバム」、まぁ要は「LPレコード」を買うようになったのもてっちゃんの影響。

中学で洋楽に走ったてっちゃんから「じゅん、ジャーニーいいぞ」と勧められて初めて買った洋楽のアルバムがJOURNEYのESCAPEだった。

高校でバンドを始めたてっちゃんに俺のバンドだよとカセットを聞かされた。

「後ろで『トゥナーイ』って歌ってんのが俺だよ」とMSGのARMED AND READYを聞かされて、マイケルシェンカーモデルを買ってハードロックに走った。

いま「マルムスティーン」なんてトンチキな店やってるのもてっちゃんの影響あっての事だ。

車の免許を取ったてっちゃんはヤンキーみたいな車を次々と乗り換えていた。

澤田兄弟が7Mのソアラに乗るようになったのもてっちゃんだ。

てっちゃんは学生時代、親父の会社でバイトしていた。

親父の会社は実家の一部を事務所として使っているので、必然、てっちゃんは毎日澤田家に通っていた。

大学を卒業したてっちゃんは渡辺プロダクション、いわゆる「ナベプロ」に入社して、小柳ルミ子のマネージャーとなった。

当時テレビで人気があったので、年に片手程度しか休みが取れなくて激ヤセしていた。

その影響かわからないけど、弟は大学を卒業してホリプロに入社した。

この後は結構あいまいなんだけど、ナベプロからソニー、キティ、オーガスタ…最後はユーズミュージックで邦楽アーティストのマネジメントをやっていた。

ここまでの間、まぁ同じ業界にいたこともあるし、事あるごとに法事だなんだかんだで割と顔は合わせてたし、俺が店始めてからは、同僚の佐藤氏と一緒だったり別々だったりで、よく飲みに来てくれてた。

冒頭のウィリアム王子との事もその中での出来事。

前途の佐藤氏が、独立したのとてっちゃんがユーズやめたのともあってこれから一緒に仕事することも増えるのだろうと考えてた。

ところが、だ。

昨年末の12月25日、やっぱり弟から「てっちゃんが心肺停止で病院に運ばれた」とメール。

「まさか…」と思ったが、現場に駆けつけた親父から「もう脳が機能しない可能性が高く、蘇生しても植物状態であろう」と医師から宣告、おまけに今夜が峠だと。

ここまで言われても「まさかそんなこと…」と思ってた。

次の日、なんとなく現実として受け止めようとしている自分に気付いた。

という事は、誰かにもそうした心の準備が必要であろうと判断して佐藤氏に連絡…

反応は同じで「またぁ〜」的な反応。

取り敢えず病院を調べて翌朝27日だっけな?
都立府中病院へ。

面会の旨告げると集中治療室へ案内された。

全身管で繋がれたてっちゃんがいた。

もちろん話しかけても答えない。

「なんで?」

もうその場ではただ泣くしか出来ない。

医者は「きのうと比べて呼吸する力が戻ってきてるので今日から薬をどーのこーの…」とか言ってたので、体力的には問題ないのだろうと、あとは奇跡的な回復力を期待してた。

12月30日、親父が店にいて、その場で受け取ったメールを見てこう言った。

「脳が機能的に回復する事は絶望的になったので、明日、全身の管を外す」ってさ。

呼吸も何も機械任せだった、寝たきりのてっちゃん…

外されたら後は体力の続く限り、寝たまま生きるだけ…

残された母親、俺にとっては叔母にあたるヨーちゃん…

てっちゃんの父親が出て行って女手1人で息子を大学まで出させて育てて、二回の結婚に振り回されて戻ってきた息子…

それにもかかわらず、母親を置いて去ろうとしているてっちゃん…

もう何もかも胸が痛い。

正月明けて何も連絡ないので安心してた。

こっちは例年の通りアッチコッチ飲み歩いてはいたが、毎日てっちゃんの事で連絡が来るのが不安だった。

そして話は冒頭に戻る。

1月5日21時32分、弟から電話で死亡を知らされる。

その後にメール

死亡確認、20016年1月5日、21時59分

仲良くもしたし喧嘩もした、一人っ子だったてっちゃんは不貞腐れるといつも自転車に乗ってどっか行っちゃう。

今回もそーだろ。

人生思うようにいかないから不貞腐れてどっか行っちゃったんだ。

戻ってこないけどね…

僕ら兄弟に多大な影響を与えて去っていった、「兄貴分的存在」ではなく、正に兄であった松本哲也。

1965年8月15日に生まれ2016年1月5日永眠、50年という短い生涯だった。

散々泣いて、泣き疲れたはずなのに・・・

まだ涙が止まらないよ・・・

誰のためでもない、自分のためにここに書き残す。

さようなら、てっちゃん。





1 件のコメント:

  1. 哲っちゃん、お亡くなりになってたんですね。知りませんでした。写真は子供のときのままですね。つつじヶ丘の隣人より。

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